身延山(最終回)           

身延山山頂~三門

 山頂の東側展望台で昼食を取った後、下山道に向かう。 
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 下山道入口の標識の他にハイキング東コースと南側展望台の標識がある。身延山山頂へ登るにはロープウェイに乗る他に、ハイキング東コースとハイキング西コースを歩く方法がある。今回の下山道はハイキング東コースを歩く事とした。
 南側展望台は先程までいた東側展望台と同じく富士山を含む東側も見え、更に南側が少し広く見えるだけなので、そこからの展望は割愛する。
 下山道は南側展望台の横からスタートし、良く整備された杉の植林地の中を進んで行く。そして杉や檜の植林地の中の道は山門まで続いていた。 
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 道端に四十九丁と記された石柱が立っていた。この登山道には三門から山頂までの約5.5kmを50等分して、一丁~五十丁の文字が刻まれた石柱が立っている。1丁は109mなので、109×50=5450mで山頂が50丁目になる。山頂の何処かで見た気がするが撮影し損なってしまった。 
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 以降、この丁目表示を探しながら歩いた。 
<四十丁付近>
 登山道左手に法明寺(お水屋)と看板が付いているお堂が現れた。
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 お堂の前の石碑に刻まれた説明文の一部を抜粋して以下に記す。
「日蓮聖人が山頂に登る毎に日朗がこの岩清水を汲んで大聖人に捧げたので、ここを日朗上人の井戸と呼び、お堂を水屋と称した」 

<三十二丁付近>
 樹間に見えていた富士山も、この先からは見えなくなった。
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<二十五丁~二十六丁>
 下山道のほぼ中間地点で、杉林の登山道から突然明るい広場に出た。
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 この広場には相輪塔、釈尊像、三光堂、大黒堂が有り、人が住んでいる建物も有った。広場を出る時に振り返ると大光坊とあったのでここにはお坊さんが住んでいるのだ。
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 坊への行き来に車が使われる為だろうか、大光坊からの登山道は舗装されていた。
<十七丁付近>
 この付近から麓まで、杉や檜の植林の下にはナンテンとシャガが群生していた。しかし、ナンテンの赤い実は一つも付いていなかった。身延名産の南天のど飴用に収穫されたのだろうか?
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<十六丁>
 この辺りから道端には各家のお墓が多くなって来た。その中に太田家の墓があり、横の石碑に太田道灌の略歴が記されていた。太田道灌のお墓であった。
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<十丁>
 十如坊の石碑が有るが建物は道路からは見えなかった。
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<七丁>
 本地堂と軒下にあるが、どんなお堂なのか説明も無かった。
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<六丁>
 久遠寺・本堂裏に到着した。本堂横を通り菩提梯の上に出たが、左手の急階段を避けて真っすぐ男坂を下りる事とした。
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<二丁>
 男坂と菩提梯がクロスした所に二丁の石柱が立っていた。
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 男坂を下り切り、参道を山門の方に歩いて行くと大きな石柱が有り、下部に丁目表示が有るようだ。近づいて覗き込むとやはり一丁目とあった。

<一丁目>
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 この石碑は古くて上の方に刻まれた文字は見えないが、下部の文字は赤く塗られているので何とか読める、「思親閣登山道 山門ヨリ一丁目」 と。
 山頂から山門までの歩行時間は約2時間であった。パンフレットには登り2.5時間とあるので、往復を歩くとすれば4.5時間かかる。日蓮さんは毎日、山頂まで歩いたわけではないだろうが、大変だったであろうなと思わざるを得なかった。

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