健やかウォーキング

アクセスカウンタ

zoom RSS 沼津海岸線ウォーキング  獅子浜(その2)

<<   作成日時 : 2008/07/25 17:26   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 10

大久保の鼻(後半)

 大久保山は標高141m、40〜45度の急傾斜で県道上に迫っていた。山は安山岩で雑木林に覆われていた石山で、特に江浦側に面した斜面は岩と岩の間にシルト層(粘土)が走り雨水が浸透して落石、自然崩壊が続き、時には県道を塞ぎ以南の住民はその度に舟で沼津に通ったと言う。地元の人々はこの山を「与太山」と呼び、嫌っていた。
 昭和38年に、由比、蒲原間の東名高速道路の「海中道路建設」が始まり、松庫工業は海中道路建設の安山岩の捨て込み作業を受注した。
 この松浦工業側の石材の確保と、住民側の交通障害の解消と平地の確保との思惑が上手く一致し、一石三鳥の大久保山開発が昭和38年3月の基本契約締結からスタートした。
画像
                 (昭和45年の大久保山の工事状況)

 開発が進むにつれ、江浦地区での崩壊事故が良く起き、住民が恐怖におののいた。また大久保山が低くなるにつれ江浦集落や漁港への風害が発生し、江浦地区から作業中止の要求が出た。
 江浦側は風害を恐れて大久保山の開発を50m残す事を主張。一方、獅子浜側はゼロmを主張して両者譲らず膠着状態が何年も続き松庫工業はこの間細々と作業を続けざるを得なかった。
 そこに「地元のことは地元の総意で解決したい」と静浦連合自治会長が調停に乗り出して、昭和53年に江浦側斜面山頂の稜線の高さを20〜30mとする案で両者合意した。
画像
                 (昭和59年の大久保山の工事状況)

 そして、22年間も掛かり昭和60年に、一部を残して大久保山は無くなったと言う。そして、採石跡地には10万u(3万坪)の更地が出来、県に寄付された3.3千uは道路整備に、市に寄付された1.1千uには消防施設が建った。又、残土で埋めた海岸造成地は約2.7万uで600mの岸壁が出来た、と文献にはある(平成元年)。

 現在山を切り崩した高台には沼津市の公共施設や地元の神社が出来ている。
画像画像
            (白髪神社)              (沼津市南部浄化センター)
画像画像
         (静浦地区センター)     (沼津市南消防署静浦分遣所)

 国道414号線沿いに新しく海を埋め立てて出来た所には干物センターや食堂が出来ている。
画像画像
                    (海の見えるレストラン)
画像画像
                     (海の幸のお土産店)
画像画像
                 (ダイビングやマリンサービス店)

 大久保の鼻に出来た岸壁は、現在でも採石の積み出しに使用されている。
画像
                   (大久保の鼻に出来た岸壁)

 浄化センターの画像でも分かるように、お店が並んでいる道路の反対側(浄化センター前)はまだ荒地で残っている。更地の活用は未だ、道半ばだと思うが今後、何に活用されるのだろうか?22年も掛かって出来た素晴らしい成果が、完成してから既に23年も経つのに未だそのままとは、勿体無いと思うが・・・。
画像
       (国道の向こう側にはお店が並ぶが、こちらは未使用のままの更地)

 最後になるが、ネットで上のお店を調べると、何と住所は「静岡県沼津市獅子浜字大久保山」とあった。地図には字以下が載っていなかった。
 今日も暑い中を、江の浦まで行って来た。歩数は12,307歩、今週の累計歩数は20,900歩/5日。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
戦後の開発は全国的だったと思いますが山の高さを低くすることで合意したからこそ今の景観が出き保たれているものと思います。
chiharu
2008/07/25 17:59
当初の計画通り三者がほぼ満足して上手く行った工事かと思いますが22年の期間を考えると難問だったのかなと思います。その後23年もまた土地が放置状態なことも土地の必要性が果たして有ったのかなとも思いますそんな事を総合的に考えると満足度60%の工事だったのでは?ないでしょうか。
信徳
2008/07/25 18:42
由比付近の東名に主に使われたという事で岩山が消えたことが納得です、最近は東名を通る事もなくなりましたが、この付近を通る時は思い出したいと思います、字大久保山の地名があるのは良いですね。
OSAMI
2008/07/25 20:36
調停に乗り出した静浦連合自治会長は、50mと0mの中間で、両者痛み分けとしましたが、両者の主張を十分に聞いて、その後に調停案をだしたのでしょう。(次郎長の末裔かも)
平坦地の少ないところでは、一石三鳥の素晴らしい工事でした。
大久保山の工事と同じ頃、勤めていた工場の埋め土を採った山が、立派な団地に生まれ変わったことを思い出しました。
寅太
2008/07/25 22:25
chiharuさん、今晩は。
東名高速道路の建設時期ですから、日本が列島改造論や高度成長の中で無意味な工事も有ったようですが、この大久保山の開発は地元住民の合意の上での完成でした。合意が無ければ中途半端な状態で終わってしまったでしょうね。当初目的の工事は終わりましたが、その後の更地の活用と言う面では、これからだと思います。地元の発展に貢献できる活用プランが描けるか?難しい問題だとは思います。
デコウォーカ
2008/07/26 18:34
信徳さん、今晩は。
満足度の判定は難しいですね。最初の目的は、@東名高速道路の建設用石材の確保、A現国道414号線の安全確保、B地元の平地確保の3つでした。いづれも目的を達成しましたので達成率は100%です。しかし、Bの平地確保後の活用までを含めた目標ならば達成率は下がります。平地の活用は半分くらいと思いますので、これをメインの目的とすると50%に落ちますね。
私は、最初の目的は100%達成したが、平地の活用ではまだ50%の達成と考えて、これからの時代の中心となる人達がどうするかを考えるべきだと思います。
デコウォーカ
2008/07/26 18:50
こんばんは。
大久保山は地元では自然崩壊など色々な大変な山だったようですね。
山を削ったことで地元の交通の便も良くなり、公共施設や地元の神社、干物センターや食堂なども出来て地域には良いことだったようですね。
以前使った東名高速道路も沼津からすぐでした。
開発には色々と問題も出てきますね・・。

2008/07/26 18:53
OSAMIさん、今晩は。
東名高速の由比の辺りは海岸縁を走っていますが、あの下に大久保山の石が縁の下の働きをしているのですね。日本の大動脈を支えているのです。その事を思い出して戴ければ、大久保山も喜ぶでしょう。山自体は無くなりましたが、地名に字大久保山と、それにOSAMIさんの記憶にも残りました。
デコウォーカ
2008/07/26 18:59
寅太さん、今晩は。
調停の経緯に付いては途中を省略してありました。静浦自治会長の調停の前に沼津市長の私的諮問機関「大久保山対策懇話会」が検討して、江浦住民に30mの案を提示しています。しかし、江浦住民はこれを受け入れず静浦自治会会長の調停に進んだとの事でした。
この当時は高度成長期のはしりで、日本国中で同じ様な開発が進んでいたのですね。大久保山の更地も早く良い活用案が出来る事を祈っています。
デコウォーカ
2008/07/26 19:20
杏さん、今晩は。
大久保山の開発は、そもそもの素晴らしい目的は達成したと思います。開発の途中では、最初考えられなかった問題が出て来るのは当たり前です。これを何とか解決した上での完成ですから、素晴らしい成果だと思います。後は、残された平地をどの様に活用するかだけですね。
デコウォーカ
2008/07/26 19:26

コメントする help

ニックネーム
本 文
沼津海岸線ウォーキング  獅子浜(その2) 健やかウォーキング /BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる